愛するとは? 平和な世界を願って

一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。

エーリッヒ・フロム

大学生の時、心理学の授業でエーリッヒ・フロムの「愛するということ」を読み、当時難しいと感じながら恋愛の愛や条件付きの愛ではない深い真の愛について初めて知り感動しました。

能動的な愛」という言葉がとても印象に残ったことを覚えています。その意味が分かるのに30年の年月が必要でした。

庭のラベンダー(花言葉 平和)

すっかりこの本については忘れていたのですが、愛が答えというのはその頃からずっと感じ信じていました。

ウクライナ戦争になり平和や愛について考え、「愛」についてこの本を再び手に取りたくなりました。

20年以上前、当時憧れていた女性に外国人に日本語を教えることで一番大切なことって何ですかと尋ねると「愛」と答えられたことを鮮明に覚えています。

そのときも情熱の愛ではなく、母性のような愛、無条件の愛について。

子育て中、子供や自分のことで精一杯だった時に、奉仕している方々を見て、どうしてそんなに人に与えることができるのだろうと不思議に思いました。

そんな方々のようになりたいなと尊敬しながらも自分では実行できず、いつか私もそんな日が来るのかなと。

庭のバラ(花言葉 愛)

愛は能動的な活動であり受動的な感情ではない。

愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。

たくさん持っている人が豊かなのではなく、たくさん与える人が豊かなのだ。」

エーリッヒ フロム

どうしたらフロムの言うように見返りも何も求めず能動的に愛することができるのでしょうか。
愛することは個人的な経験であり、自分で経験する以外にそれを経験する方法はない。目標への階段は自分の足で登っていかねばならない。」

たくさん本で知識を得たりネットで情報を集めても、他の誰かの経験が参考になったとしても正解があるわけではなく、自分で試行錯誤していくしかないのでしょう

だから、人の人生は唯一無二で、人生の終わりまで愛するという活動を通して成長していくことできます。

また、フロムはこのようにも言います。「人は意識の上では愛されないことを恐れているが、本当は無意識の中で、愛することを恐れているのである。」

人から愛されたい、承認されたいと思う一方、本当は自分が人を、そして自分を愛するのを恐れているのかもしれません。

子供の頃無条件に愛されなかったことから(親はその時できる精一杯をしてくれ感謝しています)自分の子供は無条件に愛したいと思いました。

親と同じ過ちをしながらも歳を重ねてようやくわかってきたことは、自分が満たされてない、自分のことを愛せてないと人を本当の意味で愛することはできないんだと。

自分を無条件に愛せてないと、愛しているといってもそれがパートナーであれ、子供であれ条件つきの愛かもしれません。

無条件の愛はどんな愛なのでしょうか。

フロムは「母親の愛は無条件の愛である。母親に愛されるというすべての経験は統合され、私は愛されているという経験へと結晶する。しなければならないことといったら、生きていること、そして母親の子どもであることだけだ。

そのまま、あるがまま、愛そのものなのでしょう。赤ちゃん、ペット、動物、自然、大いなる宇宙は無条件の愛を見せてくれています。

「一人の人をほんとうに愛するとは、すべての人を愛することであり、世界を愛し、生命を愛することである。」

エーリッヒ フロム
大好きな長谷寺

条件つきのエゴではない愛でまずは自分を受け入れることができたら世界を愛することにつながる。

平和な世界を作るために、支援や祈り以外に個人ができること、それは自分の内なる平和、自分を愛することかもしれません。

ご興味のある方はフロムの「愛するということ」を是非読まれてみてください。

ウクライナに、世界に平和がありますように🙏🏼🕊

最後までお読みいただきどうもありがとうございました✨

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